第13講 仕事の時間効率を倍加する

……実践の時間学

 

弁護士・公認会計士・通訳 黒川康正

 

  会議はくりかえし開くうちに、議題よりも会議それ自体のほうが重要になってくるようだ。
 日本の企業社会にあって、会議ほどそのムダをいわれるものも少ない。やりたいことがいっぱいあるのに、だらだらと意味のない会議に出席していると、ことのほか時間の空費感がこたえる。その最大の理由は、自分の時間が自分の管理下にないからである。
 そんな会議は強制収容所の労働の苦痛もかくやと思われるくらいである。「なぜ貴重な時間をつぶしてまで、こんな会議につきあわなければならないのか」……。

 他人の管理下におかれた自分の時間ほど、浪費され、もったいないものはない。逆にいえば、時間を自主的に管理すること、それこそが自分の時間を有効に使い、仕事を充実させるノウハウの要諦なのである。
 著名な経営学者ドラッカーも「時間はもっともユニークで、乏しい資源である。時間が管理できなければ、他のなにものも管理できない」といっている。
 だが、日本人は主体的な時間管理術に長けているとはいいがたい。また、日本人はよく働くが時間の使い方は下手だと、外国から評されることも多い。つまり、勤勉だが効率的な仕事をしていないということである。
 それは、一生懸命に長い時間をかけて働いて努力するのが美徳だという、日本人固有の労働観と関係しているかもしれない。勤勉は美点だと一般にはいえようが、美徳も時として欠点になる。
 多く長い非効率な会議はまさにその象徴である。時短が叫ばれながら残業があまり減らないのもそこに起因するだろう。

 いい仕事をするためにはとにかく時間をかけて働く……これはアマチュアの仕事観である。結果より経過が重視されがちな高校野球に似ている。だが、仕事でお金を稼ぐ以上、私たちはみんなプロであるべきである。
 プロには結果が求められる。しかも短時間に。効率よく結果を出すには時間管理に関してもプロにならなくてはいけない。プロの時間管理とはひとことでいえば、最小の努力(時間)で最大の効果を生むことである。
 本を全ページ一言一句のもれもなくできるだけ早く読む、速読術の能率をそう考えている人がいる。しかし、すべてを均一の比重で読み通すのはまったく効率的ではない。速読術のほんとうのコツは、「読まなくてもいいところをいかに読まずにすませるか」にある。
 各駅停車のままではいくらスピードアップしても、全体の所要時間の短縮化にはおのずと限界がある。それより、不要な部分を省略することで全体の速度を上げる、急行列車型のやり方のほうがはるかに効果的だ。
 ただし、必要な箇所は精読する。その精読と速読の上手なかねあい、緩急のメリハリが真の効率を生む大切な条件である。それがまた「プロのわざ」でもある。

 ある団塊の世代の代議士は、大臣就任のとき、「大臣在任期間はせいぜい百日かもしれない。百日でできることはなにか」。そう考えて課題をしぼりこんだという。まず、期限を区切って、その間になにができるか考える。これはプロの時間感覚、仕事感覚といえよう。
 どこまでやれるわからないが、できるだけのことはするつもりです……これは「勤勉」ではあるかもしれないが、やはりアマの台詞である。少なくとも効率を感じさせない。
 もう一つ、この大臣のことばは大事な示唆をふくんでいる。つまり、彼が時間を主体的に管理していることだ。自分の仕事を効率よく達成する手段として時間をとらえ、使いこなしていることがよくわかる台詞である。

 時間に管理されているかぎり、いつも時間に追われ、時間に従属し、忙しい、時間がないとこぼさなければならない。いい仕事をするには、自分が「主」で時間が「従」、つまり時間を自主管理するノウハウを会得する必要がある。
 八〇点主義、仕事の定型化、委任、棚上げ法……本章で紹介するのは、「最小の時間で最大の仕事効率を上げる」合理的な時間の使い方である。同時にそれは、時間を主体的に使いこなす自主管理術でもある。
    1. 時間はかからないが仕事の質も低い
    2. 時間をかけても質の低い仕事しかできない
    3. 時間をかければいい仕事ができる
    4. 必要最小限の時間でいい仕事ができる
 どれがほんとうのプロかはいうまでもない。仕事の成果は本来、その質だけではかるものではない。それに要した時間も考慮に入れる必要があるだろう。